蘆花・下子の文書置き場

言葉を通じた知の獲得は、決して起こり得ないだろう。

意味の捏造と疎外

 人間が垂直感染してしまった「意味」という認知上の障害について。

I. 意味という習慣

 事物や人間的存在は、その存在自体が予め主体の前に現れ、これに続く形で意義や目的が付与される。この過程は、他者によって目的を予め設定された上で創造された事物に対しても ――意味が生産主であるところの他者から輸入されるか、主体自ら独立に発見するかの別はあるとしても―― やはり意味を後から付与されるという点によって同様に適用できるだろう。意味が付与される作業は最初主体によって無意識のうちに為されようとし、それを仮に免れた場合でも、明示的な社会 (つまり他者) からの圧力により次の瞬間には意味が設定されようとするだろう。後者における意味の付与はしばしば意識的に ――作為的であると主体に自覚された形で―― 行われるが、その際は無自覚である場合に比べて少しは救いようがある。乃ちこの作業は社会対策コストの払い出しの身近な一環として、常に疑いの目を向けられることになる。同時に、これは社会対策として為されているのだから、誰をも納得させられない「浮遊した」意味の付与を起こすことが多く、次第に「コミュニケーションのためのコミュニケーション」となっていくだろう。こうして上辺だけを頻繁に撫でられながら社会対策の材料にされるだけの「意味」は蔓延し、世界のどこかに社会が出来れば即ちその内部を満たす効用を齎してくれる。意味を振りまくことは社会化の典型的な一症状であり、意味のない意味が氾濫したコスモスが社会である。

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教育という装置の発明

 貴方は教育を受けたことがあるだろうか。私は生涯で一度も教育を受けたことがない。故に教育を外からしか眺められないが、外から眺められた教育が如何なるものであるかを被教育者たちに表示しておきたいと考えた。以下はその目的のために費やされる。

I. 教育という装置の発明

 教育は広く行われ、また極めて多大な時間を一人一人の被教育者に費やさせて行われる。特に日本では、教育は三歳を迎えてから二十五歳や三十歳*1に到達するまでの長い年数と、且つその間の殆どの時間的分率を占めながら行われる。そもそも三歳から三十歳といえば莫大な時間の量であり、生物的には生殖適齢期であったり、被教育者本人としても常に物思いに耽った自由な思考に費やしたい貴重な期間であるが、それを二十年以上に渡って独占するのが教育であり、また教育にはそれをすることができる正当性が社会から与えられている。つまり俯瞰すると、教育がどんなメリットを齎すと言われていようが、人の時間を独占し消費するという極めて大きな損失を追わせているのは事実である。ここで私はもう一歩踏み込んで指摘しておくと、教育は被教育者の時間を搾取することで損害を与え、また被教育者の資産・人間関係・体力やその他通学的設備に対して大量の資源を消費させることで、被教育という過程を強く正統化し、その中で教え込まれ、自発的に覚えようとさせられるところの知とされた体系を「習得して意味があるものである」と洗脳する働きを持っているのではないだろうか。

*1:日本では通常、博士号の取得は二十七歳以降となっていることからこのように記述した。

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中心化された限定コードの世界

 社会は恣意的に分化させられてきた。

I. 緻密コードの天下り的転倒

 かつてバーンステインは階層集団に対して独自の言語コードの存在を仮定し、更にその副作用として職業の分化を招くことを示した。乃ち、社会的下層に位置する集団は、事物や主張を発言者の主観に依拠した形で述べた文を発することが多く、それは同時に発言者の地位の情報を副作用入力として与えることを前提に構成されがちであり、一方で社会的上層に位置する集団は事物や主張を発言者から少し離れた視座による客観的な形で述べた文を発することが多く、同時に比較的多量の語彙を動員しがちであるという、既に良く知られた階層間におけるパロール的差異の説明である。彼によって、前者は限定コード (Restricted Code)、後者は緻密コード (Elaborated code) と名付けられた。全国民を対象にした教育機関がある場合、そこでは通常後者によって教育は行われるために、幼い頃から緻密コードによる情報伝達を習得してくる家庭の子供 (より上層家庭出身の子供) が有利になり、階層の再生産に繋がるということは、良く知られた事項であり改めて説明する必要もないだろう。この記事はそんな当たり前の事を主張するためのものではない。

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論文と詩

 その文章 ――彼―― は、学術論文として投稿された散文詩なのだった。

I. 現象

 彼らを見出したのは秋も暮れかかったとある紺色の空の日であった。彼らは一見とある人文科学上の議題を扱っており、彼らに目を通した私は底知れない欺きを感じ取り、更にそこから生まれ出るどす黒さとおぞましさを感じた。彼らはしきりに自己を増殖させており、また彼らは世界に拝まれることに関して頗る厚かったが、そこで提示される言葉は常に定義をされ得ないものであった。定義されざる言葉たちは、意図的に不明瞭にされ、まるで小説の中の言葉であるかのように、環境という分厚く半透明の衣を被せられ、雰囲気や婉曲的な場面と事例によって説明されるのが精一杯であり、彼の中に言葉を見た人々が物議を醸すのに充分な非決定性を ――不幸なことに―― 帯びさせられていた。

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アイデンティティによる疎外

0. 問題

 アイデンティティとは必須だったのだろうか。

1. アイデンティティ・ドリヴン

 冒頭の一文のみでは問題の射程を制限することが充分ではないため、換言しておく。人間的な主体 (以降「主体」と呼ぶ) は自身が社会 ――あるいは局所的なコミュニティ―― においてどのように見られ・尊敬され・恐れられ・親しみを持たれるかに対して、多少なりとも意識を向けて日常を生きている。この意味で、「全ての主体によってアイデンティティは生きられている」と言おう。以下では、アイデンティティが既に主体にとって獲得を強制された身体の延長であることを見ていき、更に「強制されること」は必ず満たされなければならない要請であったのかを検討の対象とする。

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肯定(四)

 翌朝、佑子を完全に失った徹はどこを見るということもない目を漂わせながら、顔を洗い駅へ歩きホームへ上がり電車に乗った。いつもであれば、嫌いではない音や光に朝を感じ、一日の中で束の間の心地よい時間となるのであったが、この日は何も思考することはなかった。千代田線にどれだけ長く揺られていたのか分からないが、彼の考えには何の休息も与えられぬまま目的地へ着いた。彼は思考する能力を残していなかったが、彼の足は彼を天井が低い大手町の地下通路の中を通って勝手に職場へ運んだ。仕事を始めても何か能動的な事を思考することはなく、自らの行動計画もなく、目に見えている事だけを無表情の機械のように経るかのごとく済ませていった。夕方家に帰り着いた彼は、やはり何も考える事はなかった。天井を見たり、並べてある本の背表紙を見たり、壁を見続けていた。ベッドの横に落ちていたペーパーバックの本を手に取ったが、何も頭に入ってこず、同じ行を半時にわたり眺めていた。思考能力を失った頭と視線で同じ行を何度も上下していると、ある言葉が口から漏れた。
「気持ち悪い。」

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肯定(三)

 遠い山が見える方角に夕陽が灯り、時計は夕方の五時を指していた。居残りが好きな人々を横目に徹は事務所を後にし、大手町の地下通路を西へ進んでいた。近くで夕食を済ませて行こうと思った彼は、通り道に接するとあるビルの地下入口へ入った。地上は黒光りをする柱で一杯だったが、地下は十年の賞味期限すら持たないだろうデザインの内装とサインに溢れていた。行き交う人々はいつもと同じく、幼い頃からなってはいけないと釘を刺されてきた醜悪な顔をしたサラリイマンだらけであったが、彼は息さえ止めればその影響も少なくなるだろうと視野を狭い前方に絞ってひたすら歩いた。

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