蘆花・下子の文書置き場

言葉を通じた知の獲得は、決して起こり得ないだろう。

論文と詩

 その文章 ――彼―― は、学術論文として投稿された散文詩なのだった。

I. 現象

 彼らを見出したのは秋も暮れかかったとある紺色の空の日であった。彼らは一見とある人文科学上の議題を扱っており、彼らに目を通した私は底知れない欺きを感じ取り、更にそこから生まれ出るどす黒さとおぞましさを感じた。彼らはしきりに自己を増殖させており、また彼らは世界に拝まれることに関して頗る厚かったが、そこで提示される言葉は常に定義をされ得ないものであった。定義されざる言葉たちは、意図的に不明瞭にされ、まるで小説の中の言葉であるかのように、環境という分厚く半透明の衣を被せられ、雰囲気や婉曲的な場面と事例によって説明されるのが精一杯であり、彼の中に言葉を見た人々が物議を醸すのに充分な非決定性を ――不幸なことに―― 帯びさせられていた。
 彼らの中にある、詩的で雑で方向なしの反抗学生のような言葉たちは、彼らを創造した存在の同僚たちに向けられたものではなく、ちらちらと大衆たちに標的を定められたものであり、その標的にしてこの言葉が選ばれているという事実は、偏に真理を志向せず多くを動員することをのみ目指された結果であるのは間違いなく、従って標的たちは充分に見下されていたし、終始動員対象としての駒か、あるいは創造主にとっての性的対象としてしか見られていなかった。
 真理を志向しない彼らの主題は、未定義の言葉だけではなく過度のレトリック・場違いの定性表現によっても不明瞭にされ、その当然の効用として、根拠の明瞭な組み立ては描かれず、彼らの創造主は彼らに酔い、自身で根拠を組み立てることすらできなくなっていく類の、裸の王様と見分けが付かなくなっていく。そして、彼らの中に込められた、彼らのうちの他の存在との相互作用もまた朧げで醜悪となるのであった。他の存在の中にある、意図的に不明瞭にされた言葉やパラグラフを拾ってきては、その詩的表現・レトリックを敢えて仰々しく拾い、心にもない賞賛を述べ立て創造主の敬虔さを誇示した後に、すぐ自家製の即席誤謬を批判することに専念し始めるのだ。非本質的な言葉たちを拾ってきては幾度とそれを叩くことで彼らの功績を主張し、彼ら自身の中にまた意図的に、非本質的なそれをどっさりと埋設させていく。言わば治安が悪くおぞましい永久機関と言えるものなのだった。

II. 原因

 彼らの村は、一体何故荒らされてしまったのだろう。そもそも彼らの創造主たちは知りたいことに対して真摯でなさすぎたのだ。創造主を満たしてくれるご褒美がうまく出現できなかったという指摘も間違ってはいないが、そもそも知が目的であったにも関わらずやはり身体から逃れられなかったという説明の方がまだ満足できよう。生み出された彼らが成功するか失敗するか ――そもそも成否で測ろうとすること自体に異議を挟みたい気持ちも湧き上がっては来るが―― は、彼らがどれだけ多くを動員し、煽動できたかで決めることができる。いや、決めることができてしまい、それ以上の尺度は最早残っていない。言わば、誰も万年後に評価されたいとは言わないのだ。となると行き着くのは、動員を至上とするような、そんなソフィストもびっくりの村を作り上げてしまったのだろうということだ。身体性の呪縛。
 この具体的な人型として私の前にありありと浮かび上がってくるのは、ギョロギョロとした目を伺わせるヒロイズムである。社会、特に一般人、性的対象からの賞賛が目的となったジメジメとした精液臭のするヒロイズムである。かつてソフィストはカラッと乾いた心で不快な湿気などを寄せ付けず、常に真っ白の ――或いは灰色の―― 清潔なキャンバスの中に位置取り、塩味で舌を焼き殺さない優しい無味を提供した。唾棄され恣意的に忘れ去られたとは言え、元々地から生まれてきたのだから灰色に還ることはどこまでも自然な振る舞いであり、殊更に人間的に言及すればこれは至高の供養として良かった。今私が誤って掴んでしまった湿った性的な彼らと創造主は、恐らく歴史の中でも最も気持ち悪いヒロイズムの体現者であり、快楽を求めて自己増殖をやめないが故に、人間たちの知を際限なく歪め、対立者へ潜在的で基底的な不幸を押し付けるだろう。私が見てきたものの中でも、他に比類なき生殖器の出現。

 参考としては、この随筆を冒頭から読み直してみるといい。