肯定(二)
二
何の変哲もない、何一つ得るものがない日であった。何故こうも非文化的な作業の繰り返しをするだけの生を送っているのだろう。そう感じることができればまだましであるようにすら思える日常の中に居た。徹は、理学の博士号を得てから、とりあえずの日銭を稼がなくてはいけないと気付き、求人広告を上から三つ程当たり、その内一つが教養教育レベルではあるが少なくとも数学を使った仕事ができる事から、入社を決めたのだった。今の仕事に就いてはや九ヶ月が経ち、新しい金町の家にも、事務所へ行く千代田線のラッシュにも慣れ、本来であれば社会人ならではの展望や楽しみを持っていても違和感ない時期であった。だが、今の彼には展望も好奇心も持つにはあまりにも高すぎるものであった。一日は事務所における九時間の労働と家事で埋め尽くされて自由になるのは二時間程しかなく、また何かを為そうにもその資金すら用意できなかった。そもそも、何が彼をしてこのような境遇に貶めたのかと言えば、彼自身の世間や時間やお金に対する一般的な予備知識の少なさであり、一日の時間の空きだとか生活に必要な資金を博士課程までを全く気にした事が無かった彼は、社会人となれば少なくとも博士課程在学中よりは全てにおいて自由が効くようになるだろうとしか見当をつけてはいなかったため、いや、むしろその程度の世間感覚しかなかったからこそ、何も疑わずに適当な就職を決めたのだった。
肯定(一)
一
二月十七日の上野は、雪の時期が既に終わってしまっていて、頬が痛いくらいの寒さこそ残っていたが、風雨に吹かれる心配なしに街の色を眺められる天候だった。北上野へ向かう首都高が、そう濃くない陰を国道四号線に落としており、空の色もまた、薄い鉛色をしていた。灰色の古ぼけたビルたちが、ひしめくようにくすんだ道とくすんだ空とに接していて、視界にコントラストを望まない人の目には、一つの調和となって映っていた。
徹は、博士論文の公聴会を先月に終えてから、ひとときの身体的な休息を楽しんでいた。体に浸透するように染み渡った栄養ドリンクの効果をリセットし、朝と夜が逆転してしまった生活を、現代人の標準的な生活周期へ移そうと、たまに低コントラストの街を歩いているのだった。灰色の壁は徹の網膜にぬるい色を映し出し、瞼を優しく閉じたり開いたりしても何ら注意を喚起しないくらいのもので、それは帝都の奥ゆかしい往年の下町を感覚的に好きだと思う徹にとって、安楽そのものであった。
文化的な死と、文字的文化から遠いところの人
下子とは文章から最も遠い人間です。
はじめ、彼は自らが文章を読めない等とは思ってもいませんでした。幼い頃、一・二行の文であれば、 ――他の日本人がそうであるように―― 幾度となく読む機会があり、また実際に読めていたのだろうと思います。君は読めていないと明示的に指摘された事もなかったのでしょう。今だから分かるのですが、彼は文字を手段に知識を蓄積・共有し合うような界隈で過ごした事がなかったのだと思います。中等学校もそろそろ半ばに差し掛かる十五の頃、たったの一度も文章を読んだことがない人間が、ここに一人完成しました。
続きを読む文書置き場について
ここは蘆花・下子の文書置き場です.主に,
- 恒常的に掲載しておくべき文書
- 自分のための備忘録
- 私の書いた手紙
等を残しておきます.
私の名前は「桜木 = 下子 = 蘆花 (さくらぎ・げし・ろか)」とします.自身についてはそのうちに記載します.